こんにちは、TRAVELERS SHOWです。
新型コロナウイルスの影響で、また残念なニュースが入ってきました。
国産初のジェット旅客機「スペースジェット」事業の凍結が、三菱重工業から発表されました。
もちろん、今後ずっと凍結がされるということではないと思いたいですが、納入先である航空会社の需要が今後すぐ回復することは望めない為、今回の凍結という事態に至ってしまいました。
そこで今回は、この「スペースジェット」についてご紹介していきたいと思います。
そもそもスペースジェットとは?
三菱スペースジェットは、三菱航空機を筆頭に開発が進められている小型旅客機のシリーズです。
経済産業省が推進する事業の一つであった、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が提案した環境適応型高性能小型航空機計画をベースとして、三菱重工業を筆頭に日本製の小型旅客機として計画が開始され、三菱航空機として事業を子会社化し、開発が進められています。
2019年6月13日に、それまでの名称であるMRJ(三菱リージョナルジェット)から、MSJ(三菱スペースジェット)への名称変更が発表されました。
初飛行は2015年11月11日に愛知県営名古屋空港で行われ、太平洋上にある防衛省の訓練空域で、航空機の基本動作である降下・上昇・旋回等を行い、1時間27分に及ぶ初飛行を終えたました。
戦後日本が独自の旅客機を開発するのは、YS-11以来約40年となります。
ここで国産旅客機開発の歴史を振り返ります。
国産旅客機開発の歴史
日本での航空産業は大正時代に始まります。
欧米各国に比べて、日本は航空機作りに遅れをとっていましたが、航空の有用性を陸軍が注目し、国内の造船メーカーなどに、欧米航空機の機体やエンジンの生産を依頼するようになりました。
日本のメーカーでは中島飛行機と三菱造船が、この生産に取り組んでおり、海外から設計者や技師を招いて製作を進めていました。後に川崎航空機なども参入し、その後軍需増大によって、10社以上の航空メーカーが登場していましたが、民間機の分野への進出はそれほど進んではいませんでした。
その後、第二次世界大戦によって、日本の航空技術は最高潮に達しましたが、戦局悪化により、産業は急速に消耗していきました。敗戦と同時に連合軍が駐留することになると、航空機の製作はおろか、研究や運航までもが禁止され、製造各社は完全に解体されることになり、他業種への転換を図られました。
ですが、徐々にアメリカ軍から戦闘機の修理や部品供給が日本側へに発注されるようになり、航空産業は復活を迎えることになります。
しかし、世界の航空機産業は格段に進歩しており、完全に出遅れていた日本企業は、アメリカ製航空機のライセンス生産を手がけるなどをすることで、失われた基礎技術を取り戻すこととなりました。
こうして、T-1やYS-11といった航空機が生まれることとなりましたが、価格の面では欧米機に比べて不利であった為、いずれも少量の生産で終わることとなり、自衛隊関連の需要や、他社の航空機開発協力などをするに留まり、独自の航空機の生産からは退くこととになりました。
しかし、軍関連の需要は、軍縮の機運とともに、今後増加が見込めない為、現在では各社も民需拡大へ積極的に動いています。
国内他社の動向
三菱スペースジェット以外にも、航空機の製造は進められています。
本田技研工業は、1997年より、エンジンを含めた全自社製の「HondaJet」の開発を正式に開始し、2013年12月には初飛行、2016年1月には販売を開始しています。
乗客5〜6名の超軽量ジェット機で、プライベート機やエアタクシーが主な市場となります。
新型コロナ収束後の事業再開に期待
いかがでしたでしょうか。
国産初のジェット機の開発、ロマンがありますよね。
今回の新型コロナウイルスの影響で、その開発が凍結される事態になってしまいましたが、新型コロナウイルスの収束後、事業の再開がされることが楽しみですね。
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